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プロフィール

こんにちは。
ご覧いただきありがとうございます。
Pilates echo トレーナーのSATOMIです

知らない場所で知らない人のレッスンを受けることに不安を感じられる方も
いらっしゃると思いますので、ここではわたし自身についてお話させていただきますね。

SATOMI-サトミ-

名前:SATOMI(武井 里充)
血液型:A型(ときどきO型といわれる)
出身:山梨県甲州市
家族構成:銃剣道の使い手で按摩・マッサージ・整体の治療院を営むだんなさんと二人暮らし
好きなもの(こと):家族でおいしいご飯を食べる、怪談話を聞く、海外ドラマを観る(サスペンス・ミステリーのみ)、
         推理小説を読む、ゼンタングルを描く
苦手なもの(こと):料理、足の多い虫(6本以上は認めません)
特技:四柱推命鑑定、易学、オーラリーディング、ゼンタングル
長所:なんでもコツコツやる、話好き
短所:そそっかしい(みんなが見つけられるものが見つけられない)、夢中になると時間を忘れる、理屈っぽい
幸せを感じる瞬間:だんなさんと一緒においしい日本酒を呑んでいるとき
よく行くごはん屋さん:しおかわ、めん丸

つらかった過去

まず、わたしがどんな人なのか、何を考え、どのような経験を経てピラティスを伝えることを仕事にしようと思ったのかをお話しします。50年以上のわたしの歴史になるので、長文になりますが、お付き合いください。

股関節の病気で運動が自由にできなかった子供時代

わたしは山梨県甲州市の、山あいの地域で生まれ育ちました。自然に囲まれ、山や川で日が暮れるまで遊ぶような活発な子どもでした。夕方になると、よく母親に探されたものです。
同時に、わたしは本を読むことも大好きでした。これは母の影響が大きく、家のあちこちに本がある環境で育ったからです。布団の横やコタツの脇には、母が読んでいた推理小説が置かれていました。子どもは親の真似をするものです。
本を読む母の隣で、わたしも児童書などをよく読んでいました。
普段から読書をしていましたが、特によく本を読んでいた場所があります。

それは病院の待合室です。
わたしは2歳の時に先天性股関節脱臼症の手術を受けました。物心つく頃には、親に連れられて定期的に診察を受けるのが当たり前になっていました。当時の病院は今以上に待ち時間が長く、その間、わたしは本を読んで過ごしていました。

病院で働く人たちに憧れ医療職を目指す


幸いなことに、病院に通うこと自体は嫌ではありませんでした。
なぜなら、そこには優しい大人たちがいたからです。先生や看護師さん、放射線技師さんなど、多くのスタッフに接する中で、わたしは次第に病院の仕事に憧れるようになりました。
一方で、わたしの両親は股関節のことを考慮し、わたしが激しいスポーツをすることに消極的でした。
小学生の頃は自由に運動していましたが、中学・高校では運動部への入部を禁止されてしまいました。
それでも高校卒業後の進路を考えたとき、わたしは幼い頃に抱いた病院への憧れを思い出しました。

「病院で働いてみたい!」

医師、看護師、薬剤師、放射線技師、臨床検査技師……さまざまな職業の中で、最も興味を引かれたのが臨床検査技師でした。患者さんの血液や身体の状態を検査し、「なぜ?」を探り、分析することに強い関心を抱いたのです。
高校卒業後は臨床検査技師の専門学校に進学し、無事に卒業。国家試験にも合格し、大学病院に就職しました。

人工関節になっちゃう?運動を避けてきたワタシに思わぬピンチが


当直や休日出勤のあるハードな勤務の中で、わたしは25歳を迎えました。
その頃、股関節の痛みが強くなり、立っているのもつらくなりました。
慌てて勤務先の整形外科を受診したところ、脱臼ではなかったものの、体重のかけ方に偏りがあるせいで痛みが出ていると言われました。
そのとき、先生の言葉が今でも忘れられません。

「こんなに筋肉がなくて細くて……自分の体を甘やかしすぎだよ。もっと筋肉をつけないと、骨格を支えられないよ。
今の年齢からは、軟骨は減る一方なんだから。このままだと人工関節になっちゃうよ。」

親の言いつけを守り、激しい運動を避けてきたことの弊害が、ここで一気に表れたのです。

トレーニングと筋トレをスタート!関節の痛みもやわらいできた!

「そうか、鍛えなきゃダメなんだ!」

そう決意して、わたしはトレーニングに打ち込みました。スポーツクラブに入会し、せっせと筋トレに励む毎日。
コツコツ努力するのが好きな性格もあり、順調に筋肉がつき、股関節の痛みも和らいできました。
しかし、やがて同じ動作の繰り返しに飽きてしまいました。

そんなとき、友人に「キックボクササイズの体験に行こう!」と誘われました。試しに行ってみると、これがものすごく楽しく、すぐに夢中になりました。
最終的にはプロ選手もいるキックボクシングジムに所属し、アマチュアの試合にも出場するまでになりました。
32歳のときです。

そこから週2回のキックボクシングを続ける一方で、
わたしは「この激しいスポーツをあと10年、20年続けられるのか?」という不安を感じ始めました。
そこで、長く続けられる運動を探し始めました。ヨガ、ランニング、ボルダリング……さまざまなエクササイズを試す中で、ピラティスに出会ったのです。

ピラティス?なにそれ?でもおもしろそう!

実は、ピラティスとの出会いは他のトレーニングを通じたものでした。
当時お世話になっていたパーソナルトレーナーが、セッションの中で「マスターストレッチ」という器具を取り入れてくれたのです。その機能性や効果に感動し、勢いのまま資格を取得しましたが、そのスタジオがピラティス専門のスタジオでした。

マスターストレッチの習得後、嬉々としてグループレッスンに通っていたある日、
トレーナーから「武井さんには絶対ピラティスも合いますよ」と勧められました。何でも試してみたかったわたしは、その言葉に背中を押され、ピラティスのグループレッスンにも参加することに。すると、すぐに「もっと習得したい!」と強く思うようになりました。”

ピラティスの効果を実感!自分のカラダのトリセツができる楽しさ!

ピラティスは、それまでの筋力トレーニングでは鍛えられなかった「自分のカラダの弱い部分・動かない部分」をピンポイントで教えてくれました。
「ここが動かないから、キックボクシングの動きにつながらないのか!」と気づくことが増え、学ぶことがどんどん楽しくなりました。「キックボクシングにも生かせるし、カラダの動きも変わりそう!」と期待に胸を膨らませながら、
夢中で通い続けました。

キックボクシングでは、アマチュアとはいえ 激しいトレーニング が含まれます。
その中でも マススパーリング という実戦形式の練習があります。これは、 相手をケガさせないように攻撃のパターンやガードの仕方を学ぶ ためのトレーニング方法ですが、 男女混合のグループレッスン では 自分より体格の大きい男性 が相手になることもありました。

もちろん、 ケガをしないように細心の注意を払って いましたが、格闘技である以上、それでも 打ち身やねんざ のような小さなケガは日常茶飯事でした。さらに、それらの ケガが慢性的な痛み につながることもありました。

しかし、しばらく ピラティスを続けていくうちに、小さなケガをしなくなっている ことに気づいたのです。

その理由は、 体幹が強くなり、自分のカラダをうまくコントロールできるようになった から。

以前のわたしは 体幹に軸がなく、パンチやキックの動きにカラダが振り回されて いました。その結果、 コントロールしきれずにねんざすることが多かった のです。しかし、ピラティスを通じて、 弱い部分は強化され、逆に力が入りすぎている部分はリラックスできるように なりました。

この経験から、 「カラダの使い方次第で、ケガのリスクを大きく減らせる ということを身をもって実感しました。

ピラティスを学ぶことで、自分のカラダの「取扱説明書」を書き換えていくような感覚がありました。そうして数年間通った後、「もっと深く学びたい!」という思いが募り、40歳の時にマットピラティスの資格を取得しました。

悩みに悩んで検査技師とトレーナー2足のわらじ生活をスタート

ちょうどその頃、わたしは大きな選択に直面していました。
このまま検査技師として大学病院に勤め続けるのか、それとも習得した資格を生かし、別の道を歩むのか。
40歳を迎えた年は、そんな葛藤と向き合う一年でした。

当時わたしはまだ独身で、「このまま結婚しないかもしれない」という考えも頭をよぎっていました。
そんな中、ピラティスやマスターストレッチの指導者資格をはじめ、四柱推命学や易学、オーラリーディングなど、さまざまな学びを深めるうちに、「自分で何かできないか?」と模索する日々が続きました。

そして2年間悩み抜いた末、大学病院を退職し、外来診療のみのクリニックへ転職。
検査技師の仕事を続けながら、休日にはキックボクシングとピラティスのトレーナーとして、お世話になっていたジムで指導を始めることにしました。

当時はグループレッスンのみを担当し、自身の経験をもとに「ピラティスによるキックボクシングのパフォーマンス向上」をテーマにしたレッスンを展開。キックボクシングジムという環境もあり、ポテンシャルの高い生徒が多く、
内容はエクササイズ要素の強い、ハードなものが中心でした。

こうして、検査技師とトレーナーの二足のわらじ生活が始まりました。
約4年間、このスタイルを続けながら、次第に自分の進むべき道が明確になっていったのです。

大好きな山梨へ帰って来る

2018年10月、幸運にも結婚が決まり、地元である山梨へ戻ることになりました。家庭の事情もあり、臨床検査技師として常勤で働くことは難しかったのですが、一方でトレーナーとしての仕事も続けたいという思いがありました。
そこで、資格を取得したスタジオの紹介を受け、甲府市のピラティススタジオにトレーナーとして所属。また、山梨市内の総合病院にパートの臨床検査技師として就職することもできました。

グループレッスンもいいけど、パーソナルピラティスにやりがいを感じる


山梨に戻ってから、本格的にパーソナルのピラティストレーナーとしての活動を始めたのですが、グループレッスンとの違いに大きな驚きを感じました。

これまで担当していたグループレッスンでは、数名から多い時で30名近くを指導していました。
グループレッスンの良さは、オールレベルで行えること、誰もがついていきやすく楽しく取り組めること、
そして挑戦を繰り返しながら「やり切った!今日も頑張った!」という達成感を味わえることです。
一方、パーソナルレッスンは個別指導のため、まずはその方のカラダの評価からスタートします。よく動きすぎる関節、逆に動かない関節や硬くなっている筋肉を見極め、弱い部分は強化し、過剰に働いている部分の負担は軽減。オーダーメイドで様々なムーブメントを組み合わせながら、その方にとって「動きやすく、疲れにくいカラダ」を作るためのアプローチを行います。
まさに、その人自身の「カラダの取扱説明書(トリセツ)」を作るような作業。
約1時間のセッションを終えたときには、「動きやすい!」「カラダが楽!」「痛みが和らいだ!」と感じてもらえることを目指して指導しています。

医療職×トレーナーのワタシが大切にしていること

ピラティスを教え、伝えていくことはわたしたちトレーナーの役目ですが、
受けてくださる方々には 「自分の体はこう動くんだ」 という感覚を得てもらいたいと考えています。
最初は「よくわからない」「思うように動けない」と感じる方も多いですが、続けるうちに筋肉の動きや骨格を意識できるようになり、使っている感覚が理解できるようになります。これは 「自分のカラダの声が聞こえた」 ということです。
感覚が養われ、研ぎ澄まされていくと、カラダの痛みや違和感にも敏感になります。
これは 不調をいち早く察知する大切な感覚 です。
では、なぜわたしは 「カラダのトリセツを作ること」「カラダの声を聞くこと」「変化や違和感に気づくこと」 を重視するのでしょうか?

年齢とともに体力は低下し、内臓機能も衰えていきます。これは誰にとっても避けられないことです。
そして、同時に 「感覚機能」 も鈍くなります。その結果、慢性的な痛みや違和感に気づかず、病気が悪化してしまうことがあります。

わたしが臨床検査技師として出会う方々の多くは、まさにこの状態になってから病院を訪れます。
検査技師の役割は、患者さんの症状の原因を見極め、検査を通じて正確な診断をサポートすることです。
しかし、ある時 「この状態になる前に、何かできることはないのか?」 と思うようになりました。

明らかな症状が出る前に、自分のカラダの声や違和感に気づくことはできないか?
カラダの感覚や動きを養うことで、病気を予防することはできないか?
運動を通じて、年齢に関係なく元気なカラダを維持できるのではないか?

そんな思いから、わたしはピラティスを通じて 「自分のカラダと向き合うことの大切さ」 を伝え続けています。

独立開業に向けてたくさんの人が背中を押してくれる(泣)

キックボクシングジムでの グループレッスンを4年間、山梨に戻ってからは 甲府のピラティススタジオでパーソナルレッスンを6年間、経験を積ませていただきました。
そして、山梨に帰ってきたときから 「いつかは独立しよう!」 と思っていました。

でも、長い間 組織に所属していたわたしにとって、いきなりの独立開業はあまりにハードルが高いものでした。 それが正直な気持ちでした。そんなわたしの身近には、 独立開業の大先輩がいました。 それが、わたしの主人です。

主人は あん摩・マッサージ・指圧師の国家資格を取得し、最初から独立開業の道を選んだ人 でした。
そのため、わたしが山梨に帰ってきたときも、当然のように 「すぐにピラティストレーナーとして独立するだろう」 と思っていたそうです。ところが、わたしが 「勇気がない…」 とこぼしたのを聞いて、 「まあ、そういうことなら、ゆっくりやればいいよ」 と、なんと 6年間も何も言わずに見守ってくれていたのです。

この間にも、 「独立しないの?」「大丈夫だから、やってみたら?」 と、たくさんの方に背中を押していただきました。
でも、どうしても 最初の一歩を踏み出せずにいました。

言霊の力!ついに独立を決意

そんなとき、ちょっと不思議な出来事がありました。

2024年9月27日。 その日は仕事、美容院、車の調整と、予定が立て込んでいて、普段とは違う人たちに会う日でした。
ピラティスとは全く関係のない業種の方と話す機会があったのですが、気づけば 「独立したい」という思いを熱く語っていた のです。それも 2回も。

「こんなに熱く語ったのは、いつぶりだろう?」 と思うほど、夢中になって話していました。

「言霊(ことだま)」という言葉があります。
自分の口から 「思い」や「志」 を世の中に発すると、不思議なほど現実に影響を与える——わたしはそう信じています。

そして、この日を境に、何年も勇気が持てなかった 「独立への一歩」 を踏み出すことができたのです。

さらに、まるで 「ダメ押し」 のように、その日の夜、今度は 主人に向かって「独立したい!独立する!」 と熱く語っていました。

「事、三たび成る(こと、みたびなる)」 という言葉があります。
物事は三度繰り返されると、定着する——。

そのときは意識していませんでしたが、今振り返ると、 まさにその瞬間だった のかもしれません。

医療者×ピラティスであなたのカラダのトリセツを作ります

わたしはピラティスをはじめ、さまざまなスポーツやエクササイズを通じて
「自分のカラダの変化を知り、それを改善する方法」 を学んできました。
そして、その経験を伝えることで、 皆さんの不調を少しでも減らし、長く動き続けられる体を維持するお手伝いができる と信じています。

そのために、わたしは 「医療従事者」 と 「ピラティストレーナー」 の両方の視点を活かしながら、皆さんの体を分析し、
そこから導き出した答えをピラティスに落とし込んでいくことを大切にしています。

ただエクササイズを指導するのではなく、 医学的な視点から体の状態を見極め、適切なアプローチを提供できるトレーナー でありたい——そう考えています。

経歴・資格

臨床検査技師免許(1993年)
BESJ認定マットピラティストレーナー資格(2012年)
BodyCode System in Italy認定MasterStretch® マスターストレッチ Level1(2012年)
BESJ認定ピラティスリングトナー資格(2013年)
BodyCode System in Italy認定MasterStretch® マスターストレッチ Level2(2018年)
BESJ認定マシンピラティス・リフォーマー&タワー トレーナー 資格(2019年)

「echo」に込めた想い

独立に向けて、マシンの購入やホームページの制作など、さまざまな準備を進める中で「スタジオの名前をどうしよう?」と考えました。

そんなとき、相談していたコンサルタントの方に、私が臨床検査技師として超音波検査(エコー検査)を担当している話をしたところ、「エコーって響きがかわいいですね」と言われたのです。専門用語としてしか意識していなかった言葉が、改めて考えると「共鳴」「反響」「広がり」といったポジティブな意味を持ち、シンプルで親しみやすい響きでもあることに気づきました。

「echo」には「共鳴する」「広がる」という意味があります。ピラティスを通じて、身体の健康や良い習慣が少しずつ広がり、心地よいエネルギーの連鎖が生まれる——そんな場所にしたいという想いを込めています。

また、トレーニングの成果はすぐに現れるものではなく、続けることで少しずつ身体に「反響(echo)」していくもの。ピラティスを通じて、深層の筋肉や身体の使い方をじっくり探求していくことにも、この言葉はぴったりだと感じました。

さらに、ピラティスでは同じ動きを繰り返しながら身体を整えていきます。「echo(反響)」という言葉が持つ「継続」のイメージは、まさにピラティスそのもの。小さな積み重ねが、美しくしなやかな身体へとつながっていくのです。

このスタジオが、皆さんの身体と心にやさしく響き、心地よい変化をもたらす場所になりますように。